硝子の中に彫り込まれているのは、
神代文字から創案した
「伊邪那岐大神」

 
 

ペンダントヘッドに彫り込まれた流麗な線形の刻印、これは古事記にいわれる伊邪那岐大神の徴として、日本の古代文字の一つとされる神代文字、阿比留草文字を元に、私が創案したものです。伊邪那岐大神のことは、皆様もよくご存知の通り、古事記に詳しく記されています。妻神である伊邪那美神(いざなみのかみ)に先立たれた伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が妻に逢いたいと黄泉の国へ行くのですが、異形の姿に変わり果てた伊邪那美を目にしてこの世とあの世の違いに気がつき地上へと戻ります。
そして、黄泉の国との往来によって汚れてしまった身を浄めるための禊を済ませると、伊邪那岐神は、「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)」と呼び名が変わります。

 
 

つまり、この禊によって、伊邪那岐神は新たに生まれ変わり、自身と伊邪那美神を統合した姿である「伊邪那岐大神」になったと考えられるのです。

古事記のこの逸話が阿比留草文字にはなかった「伊邪那岐大神」の文字をデザインするきっかけを与えてくれました。その構想に豊かなふくらみと的確な方向性を与えてくれたのは、この逸話の意味を創造的な解釈を通して私に伝えてくれた尊敬する先生方です。

仮に、「伊邪那岐大神」が、伊邪那岐神と伊邪那美神という互いに補い合う役割を担った二つの神を統合した姿だとするなら、世界にはこの二神のように、互いに補い合う役割を担っていながら対立的に存在していると思われる物事が様々存在するだろう。たとえば、伊邪那岐神を東洋文明、精神文明に、伊邪那美神は西洋文明、物質文明に置き換えて考えることもできる。生と死という概念も、同じように、表面的に対立しているように見えながら、よく見れば、それはひと続きの物事のある側面を異なる言葉で言い表したもの、つまり、見方を変えれば、それらは一つの物事として、統合して考えることもできるのではないか——。

このような含蓄ある先生方の言葉を確かな手掛かりとしながら、私なりにたどり着いた一つの想い、それはこういうものです。

「阿比留草文字」の中に今までは存在していなかった『伊邪那岐大神』の文字を創ることができたとしたら、それはこの世界に存在するすべての二項対立を統合した姿の象徴になるのではないか——。同時に形として現象化された時に、この世界に伊邪那岐大神の世界、『統合の世界』が顕現するのではないか、その思いは私をワクワクさせ虜にしました。

問題は、阿比留草文字ではまったく異なる流れを持つ文字として表されているように思われた「伊邪那岐神を表すイ」と「伊邪那美神を表すヰ」の間に、その二つを結びつける糸口となる共通の要素を見つけることでした。この難題を解くに至るまでには結果的に数えきれないほどの試行錯誤を重ねることになったのですが、ついにあるとき、二つの文字がそれぞれの個性を損ねることなく、一つに統合される形があることに気がついたのです。

伊邪那岐ノ大神の形がこの世に初めて生まれた瞬間でした。

天壇斗のペンダントヘッドに「伊邪那岐大神の徴」が刻印されている理由、そして先にお話ししたように「万物の統合の証である」ことの理由がここにあります。

 
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