阿比留草文字で書かれた「ひふみ祝詞」を拝見したとき、
私は一目で引き込まれたのでした。

 
 

阿比留草文字は、古より用いられていた神代文字(漢字が日本に入ってくる以前から存在していたとされる日本古来の文字)の一種です。1973年に一般にも公開された伊勢神宮の奉納文99点のうち、57点は阿比留草文字で書かれております。それらは、藤原不比等、稗田阿礼、舎人親王などによるものとされ、現在も伊勢神宮の神宮文庫に大切に保存されています。2017年伊勢神宮を訪れた際、神宮文庫の分厚い目録の中に、神大文字の奉納文の存在をみつけました(ただ、現在は傷みが激しく、実物を手に取って見ることは出来ません)。

 
 

さて、天壇斗の構想が生まれる以前のことになりますが、私は硝子工芸作家として、あるとき、この不可思議な古代の文字、阿比留草文字と出会うことになりました。奈良時代から続く白川伯王家の天皇祭祀を現在に伝える七澤賢治先生から、「阿比留草文字を作品に彫ったらどうですか」と、ご提案いただいたことが始まりでした。

その流れの中で、白川家に代々伝わる阿比留草文字により書かれた「ひふみ祝詞」を拝見したとき、まさに私は「一目で引き込まれた」のでしたが、提案をしてくださった七澤賢治先生のごく軽い口調とは対照的に、私の胸の内には分不相応の宝物と対面しているような、畏れと憧れが入り混じったような、言葉には形容しがたい気持ちが広がっていたことを懐かしく思い出します。しかし、そのときはどうすればいいのか分からず、しばらくその美しく気品ある姿に見とれているだけです。自分が彫らせていただけるとは到底思えなかった‥‥‥というのが正直な気持ちでした。

すぐには手も足も出ない。けれども、なんとかして一歩ずつでも阿比留草文字の本質に近づきたい。そのために自分にできることは何だろう?と自問自答した末、まずは毎日ノートに『阿比留草文字』で「ひふみ祝詞」」を書くことにしました。それを一か月ほど続けたでしょうか。ようやく『阿比留草文字』の姿に慣れ、試作した最初のガラスの器の作品は、七澤賢治先生から「リズムを感じたらどうですか」とのご指摘を受けることになります。しかし、当時は彫ることで精一杯、緊張も手伝ってリズムを感じるどころではありません。そこで、書道家の方に『阿比留草文字』を書いていただいてそれを動画にとり、その映像を何度も何度も見て感じるという一計を案じたところ、自分なりの受け止め方ながらも、流れるような線で構成されている阿比留草文字のリズムを感じられるようになりました。

そのようにしてなんとか次の試作品を仕上げ、七沢先生にお見せしたところ、今度は神道でいうところの「荒御魂(あらみたま)」という言葉を使われて「荒御魂が強い」とのご指摘をいただきました。言われて気がつきました。阿比留草文字を彫らせていただくからには、下手に彫ってはならない、上手く彫らなくてはと、力が入っていたのです。

祝詞以外の想念が入り込まないように、
ただ、ひたすらに彫る。

では、どうしたらリズムを感じながら平静な気持ちで阿比留草文字を彫ることができるか?と考え、思い至ったことは、彫りの作業に向かったとき、「自分をゼロにする」ということでした。その具体的な方法として、祝詞を奏上し、平安清明な状態にして、仕事部屋を隅々まで火打で清め、機械もガラスの器も清め、自身も火打で清めます。ガラスの器に向かったら、すべての作業が終わるまで、ずっと祝詞を唱えつづけます。

そして、祝詞以外の想念が自分に入りこまないないようにしてただひたすら彫る——。

その成果が自分にもはっきりとわかるようになるまでにはどのぐらいの時間がかかったのか、今となってはおぼろげにしか思い出すことができませんが、あるとき、彫り上がったグラスの文字が「立ち上がってくる」ように見えたのです。そのように感じたのは初めてのことでした。阿比留草文字がようやく私の作品の中に命を得ることができた‥‥‥言葉にすればそんな思いだったような気がしますが、こうして私にとっての初めての「阿比留草文字」を彫り込んだ彫刻硝子が誕生したのです。

 
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